思い出のドゥミタスカップ

初めてフランスに行ったのはアシスタントだった24歳。

車のカタログの撮影で一月パリに滞在した。

最初の二週間は、パリ中の道をくまなく歩き、撮影場所を探し、ポラロイドカメラで撮影し地図を埋めていく作業。

当時の僕は、ほとんどフランス文化を知らずに訪れたので、毎日パリの石畳を歩きながら、その空気を吸い、文化と歴史そして独立した個性に圧倒されていった。

街のいたるところにはカフェがあり、カフェ文化というものがあるのを知ったのもその頃。併設されているタバコ売り場で、ジタンを買う自分を、古くから残される街並みのショーウィンドウに見つけ、違う自分になったような気分だった。

それから数年後。

僕は毎年のようにヨーロッパを旅していた。ある時パリの街を歩いていると、雑貨屋の店頭で、カフェで使われているドゥミタスカップを見つけた。無骨で少し丸みがあって頑丈な、カフェでいつも持つ、あのコーヒーカップだ。

特段お洒落でもなく、そしてとてもパリのカフェを感じさせるカップを、僕は1セット購入し日本に持ち帰った。

それから20年。

僕はこのドゥミタスカップを毎日使い、来客があればこのカップでコーヒーを出してきた。未だに欠けひとつない白いドゥミタスカップ。美味しいコーヒーと沢山の思い出。

今日、僕はこのドゥミタスカップを捨てることにした。

理由は幾つかあるのだが、大きくはライフスタイルが変わったから。嗜好が変わり、以前ほどコーヒーを飲まなくなった。そしてそれより大きいのは、ここ数年の意識の変化から、思い出をモノに依存しないようになってきたから。

初めてパリに行ったあの時以降。
僕は様々な場所や人に感化され、文化や知識、人間として生きる姿勢を学んだ。

今も続いているし、これからも続けていく。
世界は広く、未知は果てしない。

思い出のモノよりも、未来を歩く自分。
風に吹かれ、彷彷徨い続けるのが人間。

思い出のドゥミタスカップたちに、ありがとう。
またパリのカフェで会おう!