自然へ帰る旅 ー(3)人生の質ー

海外の人、特にヨーロッパの人と話していて、Quality of Life という話題がよく上がります。

「人生の質」

ここで話題に上る「人生の質」とは、所有物や人との比較により自分の位置を確認する行為ではありません。

日々の生活の中で、何を大切に思い、何を基盤として生活しているのか? どのような時間を過ごし、人生をどう捉えているのか? またそうした安定した価値感と、意識を持っているか? 僕にとってのQOLの定義は、そこにあります。

考えてみてください。
自分の存在は唯一無二です。

他の誰かが自分であるはずはなく、見る目も聞く耳も話す口も、すべて自分のものです。そうした独立した存在なのに、どうして枠を作り、それを限界だと思い込むのだろう?

社会とは個人が尊重された上で、共同認識もしくは契約として成り立つものなのに、その社会に服従し支配されるって。。。なに??

お金を持っている、土地を持っている、家がある、高級車がある、家柄がいい、有名人、権力者、政治家。。。。そうしたヒエラルキーの持つ本質的な意味と、あなたの人生との関連性は? そもそもそこに従属することは必要?

この世に生を受け、一生という時間の中で自分自身が悟る価値観。

それがあるかどうか?
それを意識しているかどうか?
命を終える時に大きな違いとして感じるんじゃないかな。

幸せとはなんだろう?。。。って。

チェーンソーの音がしたので行ってみると、オーナーのナイジェルが木を切っています。彼が言うには、その木は切られたくないそうで、完全に歯は貫通しているのに倒れようとしません。木の流れは一番上が重要だそうで、この木の上部は、中部にかけての傾きとは逆を向いていました。

夕刻に森の中を歩くと、闇が近づき深い木々が迫ってくるようです。「人間が、我が者顔で歩く時間は終りだ」そう心の中で誰かの声が響いてきます。歩を進めると、突然「ドドド」と素早く地面を叩く複数の重い音がしました。その音の方へ顔を向けると、暗い中を野生の鹿が数頭走って逃げて行きました。

火を焼べ、みんなで囲みます。

ナイジェルは、火は昔の人のテレビだと言っていましたが、本当にその通りで、燃える炎は様々な模様と色を見せていました。

僕たちには共通点があり、子供のころボーイスカウトに入っていたのです。石を並べ、かまどを作り、枯れ枝を拾い、その火で食事を作ります。そうした遠い記憶を思い出しました。

新月の夜に笑美に誘われ、木々で空が隠れない場所までクルマで出かけてみました。クルマを停め、ライトを消し、エンジンを切れば、虫の音以外は何一つ音の聞こえない世界です。

しばらくすると目が暗闇に慣れて、満天の星空が広がり始めました。ふたりでしばし首を上げ、その瞬きを眺めていました。

Quality of Life人生の質

生きるとはどういうことだろう?

この短く限られた一生の中で、どれだけの「本当の自分の生活」を送れるか。僕にとっての「人生の質」はそこにあります。

いつでも、気付いた時に。そこへシフトすることは可能です。

心をクリアにし、心の声に耳を傾け、自身に誠実に行動する。
そして不要なものは止める。

たとえ誰が何と言おうと。

大切なのは幸せの追求。
それは個人から始まり、そして社会に広がるもの。