ひとつの貴重な命

お盆には父方の故郷岩手県へ行っていました。

北上川沿いにある「サトウハチロー記念館」から出て車に乗り、外を見ると小さな虫の白い抜け殻が窓ガラスに付いていました。とても小さく外の景色に同化していて、初めはゴミだと思ったほどです。

そしてそのまま目線を下に向けると、羽の付いた産まれたばかりの小さな虫が、窓にその背を仰け反らせながら留っていました。これは夕方になると街灯の下に何十何百と群がっている虫です。

父の実家には、裏に昔からの畑があり、主にナシやリンゴなどのフルーツを栽培し、大葉やミョウガ、ミントが自生しています。そこではそれと共に、蝉やトンボ、蜂、蜘蛛、モグラ、ミミズ、蛇、その他数えきれないほどの「命」が生息しています。コンクリートで囲まれた中では感じる事の出来ない、圧倒的な数に上る自然の命です。

僕は子供の頃には毎年ここにきて、虫を捕ったり、木に登ったりしていました。

あるとき蝉のさなぎを虫かごに採った翌朝、真っ白な産まれたばかりの蝉にふ化していたことがありました。田んぼにいる沢山のカエルたちによる、壁のような大きな音になった鳴き声を聞きながら眠った事もありました。都会で生まれ育った僕はそうした時間の中で、死生観を養ってきたんだなと今では分かります。

この窓に付いた虫は、普段その存在が故に、雑多で邪魔に感じられています。

けれど今。扉を閉めた静かな車内では、一匹でひっそりと産まれたばかりの身体を休めています。例え小さくともここには、ひとつの命の神秘があるのです。

眺めているうちに雨が降ってきました。しばらくして車を走らせ、目をやると虫は既にいなくなっていました。きっと沢山の群れの中の一匹に戻っていったのでしょう。

僕がフォトセミナーで話している内容。
実はこのことと深く関係をしています。

綺麗に写りたい。。。可愛く撮られたい。。。

それは外見を作ることではなく、
あなたの命から出てこなければ意味がないのです。

写真に写っているのは、今を生きるあなた。

人からどう見えるか?
ではなく

あなたは誰なのか?
なのです。