One day One photo #Week 60* 190617-190623

190617 (Mon)

無事に第2回目の「命の洗濯@八ヶ岳」2019」が終わり、森のテントに戻ってきました。

1回目、2回目ともに、とてもいい会になりました。

 

フォトセッションにしても、このリトリートにしても、

どちらも元々は笑美の発案。

フォトセッションは、写真を撮ることで、もう一度自分を見てみようということ。

リトリートは、日常から小さな脱出をして、もう一度日々を感じようということ。

 

しっかりと健康に生きること。

それは、ちゃんと自分を認められること。

 

今回も素晴らしい人たちにお越しいただき、僕たちもとても嬉しかったのです。

 

 

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190618 (Tue)

今回2度目の温泉シェアオフィス。

これは、村営の温泉にある、休憩所のひとテーブルをオフィス化。

温泉ー仕事ー温泉ー仕事。。。と繰り返すリラクワーク(こんな言葉あるのか??)。

 

後ろのおじちゃん、おばちゃんは、お湯とごろ寝と、お手製弁当で大声のおしゃべり。

10時半から18時まで、どこでも仕事なんてしてみせるのだ。

 

 

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190619 (Wed)

八ヶ岳のテントを撤収。

そろそろ、この地を去る時となりました。

夜の暗さ、明け方の寒さ、雨を見ながらの食事。。。

色々な経験ができました。

 

人生は旅のごとく、でござんす。

また次回のテント生活は、夏になるかな?

八ヶ岳生活フェーズ3は続きます。

 

 

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190620 (Thur)

盛大に泥だらけになっているクルマを洗車。

僕は車を綺麗にするのが好きではないので、多分一年ほど洗ってないんじゃないかと思う。

ちなみに、その一年前の洗車は、車検に出した整備工場がしてくれた(笑)

 

ホースで水をかけ、洗剤をつけながら布で拭く。

一通り綺麗にしたらワックスをかける。

 

今年で30年になる、ウチの車。

塗装のツヤはなくなり、あちこちが傷だらけ。

それでも重い荷物を載せて元気に走っているし、まだまだこれからも走る予定。

 

 

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190621 (Fri)

テントで目を覚ました時に、今の天気がわかります。

それは、テントの天井から。

雨が降ればパタパタと雨粒が当たる音がし、

曇っていれば、光少なく、

晴れていれば、この写真のように木々の影が見られます。

風が吹くと、木々の影はゆらゆらと揺れるのです。

 

 

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190622 (Sat)

今日の東京は降ったり止んだりの雨模様。

八ヶ岳と比べると、気温が高く湿気が強い。

 

 

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190623 (Sun)

資生堂ギャラリーにて行われていた、映像作家の荒木悠さん新作個展

LE SOUVENIR DU JAPON(ニッポンノミヤゲ)へ行ってきました。

資生堂ギャラリーのサイトでは、おそらくすぐに過去の個展になりアドレスが変わるので、

美術手帖の紹介記事から。。。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19412

 

実はこの荒木さん、毎年行われているアヅチ・シュウゾウ・ガリバーさん宅のお花見会で顔を合わせている間柄。

今年のお花見の時にも色々と話していて、この個展のことを聞いていたのですが、

数日前に気がついたら、なんと開催が今日23日まで。

ということで拝見しに行きました。

 

今年は資生堂ギャラリー創業百周年(100年ってすごいなあ!!)

荒木さんは、明治時代に日本に来て紀行文を残した、フランス人作家ピエールロティさんの130年前の著書

「秋の日本(1889年著)」を題材にして、その著作に現代の映像を当て込む作品となっていました。

 

130年前に旅をし出版された本の内容や情景の一人称と、現在映像時代の代表格iPhoneや複数のムービーカメラで写す舞踊会。

また、ピエールロティさんが綴った旅を、手持ちカメラでスナップのように、京都、日光、江戸で撮った、荒木さんの「秋の日本」を巡る旅。

 

どちらにも言えるのは、時間や視線、人称による見え方の差異。

そうした不思議さが、ユーモアとともに映し出されています。

 

ご本人も当日いらっしゃったので、ちょっと話したりして。

また、僕も想像のエネルギーをチャージできた気分でした。

 

荒木悠さん

@youarelucky85

 

 

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6月24日の月曜日からは、week61へ。

190624 (Mon)自分の存在のみが、自身にとってすべての時間だと仮定してみる。「かつて」というものは、映像や写真、そしてあやふやな記憶の中に。「これから」というものは、過去をその発想の原点とした空想。 生まれる前はなく、死んだ後もない。 僕は古...