菅原宏的写真術 その5

その4からの続きです。

菅原宏的写真術 その4
その3からの続きです。今回は、「写真を撮るのに必要なのは」です。前回までは、僕の撮影スタジオ入社までを綴りました。四半世紀という長いスパンで見ると、忘れてしまっていることが多いのですが、それでも残っている記憶は自分のことながらも、かつて観た映画の...

前回は感じる心を持つことの大切さを書きました。そしてお手本は必要ないとも書きました。HowTo 本も必要ないと。

今回は逆のことを書きます。

人が何を思っていて、何を伝えようとしているのか?

その伝わりは発信側というよりも、どちらかといえば個々の受け取り手側によって変わってきます。なぜなら発信したものは、外に出した瞬間から自分の手を離れてしまうから。

僕の撮った写真に対してのコメントで「そう見ているのか〜」って思うことが時々あります。けれどこれってとても正常。例え僕の撮った意図と違ったとしても、見ている人がそう感じたのだから、「それはそう見るんじゃないよ!」なんて言う権利は誰にもありません。まあ僕の場合、言うだけ言うかもしれないけど。。。(笑)

一度外に出たものに対する人からの見方が、誰もが一緒だったらとても不健全で創造性のないことですよ。もしも自分の意図を人に的確に伝えたいのなら、それが分かるように自分から表現するべきじゃないかと。

または、見ている人にそこまで期待をせずに、写真作品自体を自分の手から離して、自由にさせるべきではないかと。

なので僕は、他の写真家がどのように被写体を見て、それをどのように表現しているかにとても興味があります。つまり、どの様にして自分の意図を人へ伝えるのか、作り手側のその手法(テクニック)に興味があります。

僕が初めてギターを買ったのは中学生の頃でした。

ギター教則本は当時いくつも出ていて、僕も買っていました。けど弾いてみると、何か違うんですよ。「こんな簡単な響きじゃないぞ!」って。

そこで僕は、コードが分からないので、まずは耳で聞いてベースの音だけレコードに合わせて弾いていました。これなら単音だし、弦を押さえて親指で弾くだけだったので。

そうして長いことボーンボーンってベース音だけ弾いていたのですが、自分の耳で曲の中からベース音を拾っている内に、ベース音を基本に、その上に乗る和音の響きの膨らみが聴こえるようになってきました。そこで初めて、ギターコード集という本を買って、コードを見て覚えていったのです。

僕にとってのテクニックの捉え方は、実は今でも変わっていません。

「こうやると簡単にできるよー」「みんなこうしてるよー」的なものが嫌いなんです。最初から答えを見ることは、楽しみを奪われたとさえ思っています。

不器用といえば不器用だけれど、ギターも写真も数学ではありません。公式に基づいているのではなく、「公式を参考にして自分の作りたいものを表現する」ものなのです。

ではギターではなく写真の場合どうしてるの?
どうやってテクニックを学んだの?

それはまた次回に。

菅原宏的写真術 その6
「そこに、その時、自分はいた」随分と間が空いてしまったこの企画。過去の5回分はタグ(#菅原宏的写真術)をクリックしてご覧になれます。その1から3までは、僕の自己紹介でした。その1では、映像の仕事をしようと決めるまで。その2とその3では、撮影スタジ...