菅原宏的写真術 その4

その3からの続きです。

その2からの続きです。スタジオへの行き方を教えてもらい、西麻布から飯倉片町交差点そばにあるAXISビルまで歩いて向かいました。ホブソンズを曲がり坂を上り、テレ朝通りを越え、六本木WAVE、麻布警察署、青山ブックセンターを過ぎて、六本木交差点アマンドの角を...

今回は、「写真を撮るのに必要なのは」です。

前回までは、僕の撮影スタジオ入社までを綴りました。四半世紀という長いスパンで見ると、忘れてしまっていることが多いのですが、それでも残っている記憶は自分のことながらも、かつて観た映画のように思えます。

この頭に「残っている」という記憶の数々。実存する物を見たり触ったりして思い出す記憶、もしくは目を閉じると呼び起こされる記憶、ほかにも様々な方法で頭の中に蘇ってくると思いますが、その記憶には共に感情というものが宿っていますよね。

ドキドキしたり、辛く悲しかったり、優しい気持ちだったり、腹を立てていたり、無性に可笑しかったり、すごく怖かったり。。。日常において何かを感じた時の自分の感情。いい写真を撮るのには、その感情と、その感情を感じられる心が必要です。

何かを感じるって、人として生きる基本的な機能の一つですよね。

何も感じないということは、どこか寂しいものです。写真って、その感じている事を表す表現として、とても簡単な手段の一つだと思うのです。(もちろん一番の表し方は、泣く笑うなどの身体表現ですけどね。)またその感情は、前向きで明るいものだけではありませんよね。後ろ向きな暗いものだってあると思います。けれどもそのどちらも、自分の心を形成する上では大切なものです。

悲しいことは忘れたいと思うし、辛いことも思い出したくないですよね。もちろんそれらの記憶は忘れていって良いかと思います。リアルに生きていくのに、それらが邪魔をすることだってありますから。けれどその時の感情や気持ちだけは、燃やしてしまい無かったことにするのではなく、目には付かなくとも、心の引き出しの中に仕舞っておきましょう。

何故ならその悲しみや喜びがあったからこそ、「心のひだ」が深まるのです。その辛さや嬉しさがあるからこそ、優しさや慈しみを心の中に作れるのです。

僕は写真や絵画を含めた芸術的表現行動は、本来お手本が必要無いと思っています。

HowTo本やBlog記事を読んで、写真が上手くなると思う発想自体がナンセンス。感じる心を伴わないで単に、「露出補正して明るく撮れば、あなたもこんなにカワイイ!」なんていうのも小手先で全く意味ありません。

写真テクニックとは、「自分は何に心動いたか?を表す為」に必要なもの。心で感じた先に必要な、表現の効果的な作用に対する技術です。自分の眼で見た。自分はそれを感じた。そしてその気持ちを自分で表現してみたい。

その表現を手伝う手段として、初めてテクニックや知識が必要になってくるのです。

心のない目には、瞬間が見えません。
愛おしさをもって対象を見ることができないからです。

感じる心あればこそ、ですよね?

その4からの続きです。前回は感じる心を持つことの大切さを書きました。そしてお手本は必要ないとも書きました。HowTo 本も必要ないと。今回は逆のことを書きます。人が何を思っていて、何を伝えようとしているのか?その伝わりは発信側というよりも、どちらかとい...