菅原宏的写真術 その1

こんにちは。フォトグラファーの菅原宏です。

菅原宏的写真術と称し、写真の見方や撮り方、そして写真を通した心の話や僕自身のエピソードなどを、自己流で生きてきた私見のみ(!)で書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

まずは自己紹介代わりに、フォトグラファーを目指した20代の頃の話しを綴ります。

僕が最初に写真の世界に足を踏み入れたのは当時22歳、六本木のAXISビル内にあった飯倉スタジオという撮影スタジオでした。今やそれから既に四半世紀を超えており、スタジオ自体すでに閉鎖されて残っていません。

誰でもそれだけの時間があれば、多くの人々と出会い、様々な経験をできるでしょう。僕にとってのこの時代は、思い返せば随分と滅茶苦茶なもので、今となっては赤面を通り越して顔面蒼白になりそうな事も多々あります。それでもこうして生きてきたのですから、人生って面白いものだと思っています。

遡って子供の頃。

よく大人から訊かれましたよね「大人になったら何になりたい?」って。

僕の場合は、飛行機のパイロット、トラックの運転手、新聞記者、ミュージシャン。。。とその答えは、その時その時で変わってきました。それらの夢には脈略や関連性はありません。あるのは全部「映画で観た」ということだけでした。

母親の影響で、僕は小さな頃から映画が好きでした。

3歳の頃には両親に連れられ、当時住んでいた川崎の映画館へ「天地創造」を観に行ったそうなのですが、ノアの箱舟で動物が出ると大喜びをし、モーセが海を割る「出エジプト記」のシーンでは大泣きするので、両親が代わる代わる廊下に連れ出さなくてはならず、映画がよく観られなかったと、会えば今でも笑い話に出てきます。

そんなでしたから僕の将来の夢とは、戦争映画を観てパイロットになりたく思い、クリス・クリストファーソンが出たコンボイを観てトラック運転手になりたいと思い(菅原文太のトラック野郎ではありません)、ロバート・レッドフォードが出る大統領の陰謀を観て新聞記者になりたいと思い、ウッドストックを観てミュージシャンになりたいと思っていたのです。

今思えばそれは単純な子供の夢で、それ故に動機が不純でしたので現実味がありません。そんな僕でも20代になれば、舞台の幕の前に立たざるを得ません。

「大人になったら何になりたい?」

その決断の時がきたのです。さあ、どうする?

夢見がちな僕は、精一杯現実的に考えました。

現実的になるって、実は整理をするということなのですね。まずは男らしい散らかりっぷりの部屋を片付け、ベットに寝転がりしばらく考えていると、とても単純なところに答えはありました。

「僕がしたかったのは、映画の中の人の生活ではなく、映画の中の人の生活を ”描くこと” なのではないか?」

「ならばそれら映画の主人公に憧れるより、映画を作る人になれば良いんじゃないか?」

その寝転がって考えついたシンプルな気付きは、ただの思いつきのようなものでしたが、その後の僕の運命を大きく変えていくことになります。

20代前半を思い返すと、今だったらそれはしないよな、ということがいくつもあるのですが、そう思うのも人生経験を積んできたからなのでしょうか。今でも同じ行動取っていたら、筋金入りの馬鹿か、本質を見抜いている本物ですかね?

その2へ続きます。

その1からの続きです。当時は今ほど情報がなく、相模原育ちの僕にはツテもコネもありません。加えて映画の学校に通う気もありませんでした。さて、映画を撮る人に成ると決めたはいいが、どうしたら成れるんだろう?僕にとってのその答えは、しばらくして偶然手に取...