シュウゾウ・アヅチ・ガリバーさんは、自身がアート作品だと思う

先週の話ですが、現代アート作家の シュウゾウ・アヅチ・ガリバーさん のフィルム上映を観てきました。

これは、赤坂にあるドイツ文化会館内の、ゲーテ インスティトゥート主催で、ちょうど50年前の1968年をテーマにして、様々な作品を上映する企画展。

60年代末期とは、政治も文化も芸術も人々の意識も、世界中で多面的に変革があった時代。

毎日、一人がフィーチャーされるこの企画展もこの日が最後。

50年前の作品を見た後に、キュレーターによるインタビュー、アーティストトークがありました。

 

ガリバーさんは、当時日本の3大フーテンと呼ばれていた一人。

僕からすれば、フーテンは寅さんだろ?って思うけれど 、当時のガリバーさんは髪も長くルックスもいいのでだいぶ印象は違う。

世間から外れた当時のアウトロー的な人の総称だったのでしょうね。

ヒッピーの時代なので、同意かなとも思ったけれど、ヒッピーは連帯意識や調和という思想が主にあるのでガリバーさんとは違う。

この辺りは、シェアの感覚やスピリチュアル、ヨガに通じるインド思想が自然になってきた現代の方が、よほど近い気がする。

 

ガリバーさんとの出会いは8年前。

初めてお会いしたのは、岐阜県立近代美術館で行われた大規模なご本人の展覧会と、建部大社への作品奉納のとき。

その時は夕食を共にしたのだけれど、黒の革ジャケットに黒のサングラスで、気難しそうな顔をして、僕が何かを言うと「君の言っていることは分からないな。君は何を言ってるの」などとふっかけられたが、そのとんがり具合とへそ曲がり感が、どこか清々しくすっかり好きになった。

そうしたニコリともしない印象だったのだが、次回自宅へお邪魔したら、玄関から外まで出てきて「よおー!」と片手を上げ、満面な笑顔で迎えてくれたりで、いささか拍子抜けしたりして。

 

それからずっと親しくさせていただき、4年前にはスリランカの宗教祭へ一緒に。

。。。というか、僕がくっついて行ったんだけど。

そういえば僕たちの結婚式にも、遅刻しながら手ぶらでふらっときて、ごはん食べて帰って行ったっけ。

 

ガリバーさんは、なんともぶっ飛んだ人で、自分のやりたいことをやって生きている。

自分の価値観で話し、自分の価値観に添い行動する。

周りがどうかとか、人はどうなのかという意識が抜けている。

 

たとえば僕が「一般には」というワードを使えば、

一般とは何?君は君の言葉で話さなければ、僕には何もわからないよ

と関西弁で言われたりする。

主観以外に正確なものはないと思っているのだ。

 

こう書くと、偏屈そうに思えるかもしれないが、本人はとても面白く、笑顔で、どこまでが冗談で、どこまでが本当だか分からなかったりする。

(結局どこまでも冗談ではないのだが。。。)

 

この考え方って、とても大切なことだと、一緒にいるとわかる。

ガリバーさんが言う「誰がどうとかは関係ないんだよ、君はどう思うの?」という考え方は、世界や他人のせいにはしない、という強い意思の表れ。

それ無しの芸術、強いては生き方って、自分を枠に閉じ込める生き方なのではないか?

1947年生まれのガリバーさんは、自分の意識や考えを突き詰めて生き続けている。

 

上映後のアーティストトークでは、1968年をテーマにした企画展だから、その時代がどんな影響をもたらしたのか?という質問をされていたが、ガリバーさんの答えは、

「まあ、そういう変革の時代だったのでしょうねえ。。。」とそっけない。

カッコつけているのではなく、彼にとって本当にその程度なのだと思う。

「まあ、僕も若かったし、当時は学生運動もあり、世相にはレジスタンス的というかアゲインストというのかな。そんな機運もありましたよ、僕はノンポリでしたが。。。」

 

そしてこうも言っていました。

「1968年は、そうして何かを変えようと思っていました。1970年になれば時代は変わると思っていたのです。けれど結局、変わらなかったのですが。。。」

 

1970年以降、彼のアーティスト活動はヨーロッパに軸足を移します。

また国内でも、様々な作品を発表しています。

 

そんなガリバーさんの今回の作品は四点。

「Switch」「Screen」「Film」「Box」というタイトルの、1968年に作られたコンセプチュアルな、映像作品とパフォーマンス。

たとえば「Switch」というモノクロ作品。

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ザラザラとした壁にスイッチが1つ白いプラスチックに固定されています。

部屋の壁に埋められている蛍光灯やトイレなどの、よくある白いスイッチ。

音はなく、動きもせず、ただそのスイッチだけがスクリーンに大写しになっています。

 

2分、3分、4分。。。画面はそのまま、時間だけが流れていきます。

7分、8分、9分、10分。。。。。

 

すると突然に指が出て、スイッチを押した瞬間に、会場の明かりがつく。

 

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という作品。

 

結局11分の間、会場にいる人全員が、ただ動かないスイッチを見ていたのだけれど、この11分とは16ミリフィルム一缶で撮れる長さなのだそう。

つまりフィルム1本分の時間がそこにあるという作品。

他にも当時作られた、じっと見るだけの作品が続き、これらはロンドンにある現代美術館、テートモダンで最近も上映されて、その時は怒ってキュレーターに抗議する観客もいたそう。

 

これらの作品、僕にとっては、なんだかコミカルで面白かった。

というのが、その動かないスイッチ、何も起こらない映像を観るうちに、自分の中で色々な考えが浮かぶのです。

なんだろうこれは?とか、何か起こるのかな?とか、いつまで続くんだろう?とか、帰りに何食べようかな?とか。

そして会場は無音で静かなので、誰かがお腹をグーと鳴らす音も聞こえてきたり、傘を倒す音が大きく響いたりして、映像が映像に留まらずにスクリーンから飛び出し、時間を包んでいる感覚になったのです。

 

「人が何を言っていたとか、みんなそうだとか、分からないよ。君は何を言いたいの?」

ガリバーさんの作品は常に、自分が何を感じるかを問う。

 

ガリバーさんは、アーティストトークの中でこうも言っていました。

僕は思うのですが、アートなんていうのは、ヒマでヒマでしょうがない。そんな時に作ればいいんですよ」

そう言って笑っていました。

 

昔から背が高く、それ故にガリバーと呼ばれている、アヅチシュウゾウさん

終了後にスリーショットを撮って帰りました。